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菩提寺(ぼだいじ)は、長崎県長崎市深堀町にある曹洞宗の仏教寺院。山号は金谷山(きんこくざん)。鎌倉時代以来、当地の地頭であった深堀氏(三浦氏)、深堀氏の名跡を継いだ佐賀藩家老深堀鍋島家(石井氏)の菩提寺である。 == 歴史 == 鎌倉時代中期の建長7年(1255年)、鎌倉幕府の御家人で、当地の地頭であった三浦能仲が開基したと伝わる。能仲は深堀氏の祖とされる人物である。山号は、三浦氏発祥の地である相模国金谷村(現・神奈川県横須賀市金谷町)から名付けられた。開山は朝山芳敦。 当寺は、元来、真言宗であったが、後に天台宗に改宗され、再び真言宗となる。さらに、その後曹洞宗に改められた。本尊の薬師如来像は、慈覚大師(円仁)の作と伝わる。 戦国時代、領主深堀純賢は、肥前国佐賀城主龍造寺隆信の与力大名となった。しかし、豊臣秀吉の勘気に触れて、改易されるところを、後の佐賀藩祖鍋島直茂の取り成しによって赦されたことから、直茂の一族である大宝院(石井忠俊娘)を正室に、連れ子の石井孫六を養子に迎え、孫六は純賢の家督を相続し、鍋島茂賢と名乗った。以降、深堀氏は、深堀鍋島家として佐賀藩家老として遇せられ、深堀領6,000石を代々領していくことになる。 当寺は代々深堀氏の菩提寺であるが、鍋島茂賢・茂里父子は実家石井氏の菩提寺妙玉寺に帰依したが、茂里の子茂春は、再び当寺を菩提寺とした。 なお、境内には深堀氏、深堀鍋島家歴代の墓所の他、長崎喧嘩騒動(町年寄高木氏の家人と深堀鍋島家の家臣の紛争、赤穂浪士討ち入りの際の参考にしたと伝わる)で切腹した深堀鍋島家の家臣(深堀義士)らの墓所がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「菩提寺 (長崎市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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